[01 / LEYDA-MONO] · ST.24 / 20
#4 断罪の祭
#4 断罪の祭
罪とは多くのとき、手続きの形である。
注釈神学小品集・刑律篇
不在
ネルブラ荒野 南域:回収集落G-12(修復所の南東二キロ)
修復所の管轄区域内にある小規模居住区。石畳の広場を中心に、住居兼工房が十二軒並ぶ。広場の直径は約二十メートル。中央に低い壇があり、壇の上には断罪用の簡易天幕が張られている。壇の北側の石柱には、王冠のない印章旗が固定されている。壇から修復所の仮設祭壇までは徒歩二十五分。
規格の暫定採択から六十二日が経っていた。第五回の定例検査から数えれば、百七日が過ぎている。導管の民による定例検査は、第五回を最後に実施されていない。通知もない。管理局からの連絡もない。壁の『検査済』の印は二十六個のまま、赤が褪せはじめている。褪せた赤は、検査が来たことだけを示す。次も来るのか、もう来ないのかは示さない。示されないことは、示されることより重い1。
導管の民が来ない理由を、五人は推測していた。推測の内容は共有されていない。共有しない理由は、推測が異なる可能性があるからだ。異なる推測を共有すると、どの推測が正しいかを議論する必要がある。議論は合意か不一致を生む。合意は方針を固定し、不一致は連携を損なう。どちらも望ましくない。推測を共有しないことが、五人の連携を維持する方法だった2。
来ないことは、見ていないことを意味しない。見ていないことは、知らないことを意味しない。知っていて来ないことと、知らなくて来ないことの差は、五人にはわからない。五人にわからないということは、導管の民にとっての最適解だった——わからなくさせることは、来ることより安い。
浄化(第三回)
修復所・倉庫区(広場から東へ八十メートル)
五人は十八日ごとに倉庫区に集まるようになっていた。十八日は、鱗の再生に要する日数(約十四日)に四日の余裕を加えたものだ。四日の余裕は、安全係数ではない。四日あれば、再生した鱗が十分に硬くなるため、次回の処理で剥がす際にペンチが滑りにくくなる。柔らかい鱗を剥がすと断面が不揃いになり、再生後に間隙が残る。間隙が残ると残留物の除去が不完全になる。
今回は自分たちで始めた浄化として、三回目だった。
手順は定まっていた。スクロヴロッカがジジバルバの鱗を剥がす。モルドラッサがスクロヴロッカの舌を引く。ポンプリーズカがモルドラッサの頬を削ぐ。グリッボロンカがポンプリーズカの萼を掴む。ジジバルバがグリッボロンカの前に立ち、「おる」と言う。
三回目は、一回目より速く終わった。手順が速くなるのは、手順が身体に入ったからだ。身体に入った手順は、思考を必要としない。思考を必要としない行為は、苦痛を減らさないが、苦痛の形を変える。鋭い痛みが鈍い痛みになるのではなく、痛みの持続時間が短くなる。持続時間が短い痛みは、記憶に残りにくい。記憶に残りにくいものは、繰り返しやすい。
この行為には、まだ名前がなかった。
罪
回収集落G-12の広場で、断罪の祭が行われた。
断罪の祭は、奉杯ジュース規格(暫定採用版)の運用細則第四条『規格逸脱の処理』に基づいて実施される。運用細則は規格本体の脚注㉖に記載されており、脚注㉖は規格本体の第三条『真実の認定』の注釈から参照される。第三条は『科学的数値と祈祷監査官の直感が乖離した場合、後者を真実とみなす』と規定している。規格が採択されてから六十二日で、この条文が初めて人間に対して適用された3。
罪人の名はリギネ。ジューサー。免状を壁に掛けた独立工房主だ。工房は集落の東端にあり、広場から三十メートル。工房では奉杯用の小瓶、残香抑制剤、中和材を作っていた。集落の奉杯行列と祭礼で消費される副材類であり、集落の生活はこの工房の副材で回っていた。荒野南端では、こうした工房の主を『ジューサー』と呼ぶ。帝都で『ジューサー』と言えば聖杯に接続された特殊個体を指すが、辺境では圧搾関連職人の俗称としてこの語が残っている。呼称の揺れを訂正する手続きは、修復所の事務員が策定していない。策定されていない手続きは運用されない。運用されないものは訂正されない。
発端は、数日前の配膳時に立ち会った舌鏡審問官の簡易報告だった。工房の作業台から、規格外の残香と圧搾位相のズレが検出された——と、報告書には書いてある。報告書を書いたのは修復所の事務員だ。事務員は現地を確認していない。報告を受けて、モルドラッサが工房の残香を舌で確認した。舌の確認は科学的数値ではない。科学的数値ではないものは、第三条により、祈祷監査官の直感として処理される。直感は数値より上位にある。上位にあるものは、下位のもので覆されない4。
リギネの違反事項は三つ記録されていた。
一つ目は『残香指数の基準値超過』。基準値は規格の脚注⑧に定められている、と報告書には書いてあった。本来、残香の基準は脚注③に求めるべきものだったが、参照番号の混同は訂正されなかった。報告書に記された数値には単位がなかった。単位のない数値は、任意の基準と比較できる。比較した結果が超過であったかどうかは、比較した者の判断による。判断した者はモルドラッサだ。
二つ目は『圧搾位相のズレ』。位相のズレとは、祝詞の拍と作業の拍が一致しないことを指す。一致しているかどうかの判定は、規格の脚注⑮『異常値は祈祷監査官が責任をもって裁量する』に基づく。裁量した者はジジバルバだ。
三つ目は『行列の拍の阻害』。リギネは、列で泣いていた子どもに飴を渡すために、作業台を離れた。離れた時間は二分から三分と推定される。この二分から三分のあいだに、列の拍が〇・三秒遅延した。遅延を検出したのはポンプリーズカの糸だ。糸は列に並ぶ者の肩の動きを振動として伝達し、振動の周期の変化から遅延を算出する。〇・三秒の遅延は通常であれば検出限界以下だが、ポンプリーズカの糸は通常の検出器ではない5。
弁明
広場の壇の前に、リギネが立っていた。
手は体側に垂れていた。左手の人差し指の腹に、小さな焦げ跡が一つ残っている。抑制剤を調合するとき炭化させる工程で、指が炉縁に触れた跡だ。跡は毎週増えて、毎週薄くなる。今朝の跡はまだ濃い。
スクロヴロッカの薄い紙に『出頭のお願い』と書いてあったので来た。お願いは命令ではない。命令ではないものに従ったのは、従わなかった場合の結果が書かれていなかったからだ。書かれていない結果は、書かれている結果より怖い。
広場には約五十名が集まっていた。集落の住民の大半だ。スクロヴロッカの紙には『出席は任意』と書いてあった。任意と書いてあるものに出席しないと、任意でないものにも出席しない者として記録される可能性がある。可能性は事実ではないが、事実になりうる6。
壇の脇にジジバルバが座っていた。解読者の席。彼は紙をめくっていた。十分にゆっくりと。ゆっくりは重さになる。重さは決定に似る。
スクロヴロッカが要約を読み上げた。
「本件、安全の観点より看過できず。列は守られねばなりません」
リギネが口を開いた。
「その匂いは、工房の掃除の——」
グリッボロンカが壇の裏の石柱の根元に、種を一粒置いた。音はしなかった。広場の空気が半拍だけ重くなった。重くなった空気の中で、リギネの語尾は届かなかった。語尾が届かない言葉は、文として完結しない。完結しない文は、弁明にならない。弁明にならないものは、記録されない。
「あたしの拍は……ずれてへん。列の端の、あの子が泣き止むん、待ってただけや」
声は裏返っていた。裏返った声は、平静でない証拠として聞こえる。平静でない者の証言は、平静な者の証言より信頼性が低い——と、誰も明言しなかったが、全員がそう感じた。全員が感じたことは、合意と区別がつかない。
壇の上の梁から伸びるポンプリーズカの糸が、一本、張力を増した。壇の周囲の四列目から六列目にかけて、頷きが深くなった。深い頷きの壁の中で、リギネの声は消えた。
スクロヴロッカが壇の縁に一歩出た。群衆の方を向いた。
「諸君、聞いたか」
声は通った。声が通るのは、通り道が整備されているからだ。通り道は要約帯と同じ材質でできている。
「一人の涙のため、列全体の拍を止めたと、自ら認めた」
群衆の空気が揺れた。スクロヴロッカはそこで一度言葉を切り、両手を広げた。
「拍の乱れは、事故の芽。事故の芽は、死者の列」
彼は間を取った。間の長さはグリッボロンカの半拍遅延と同じだ。計ったのではない。同じ場所にいると、間の長さが揃う。
「泣き顔は、家で拭け。列では、拍だけを揃えよ。個人の涙より、みんなの安全」
先頭の数列が、その文句を繰り返した。繰り返しは要約帯の上を滑るように広がり、テントの梁にぶつかって反響し、合唱に変わった。
「安全!」「円滑!」「恩恵!」
三語の唱和が壇を包んだ。唱和は詩に似ている。詩は増殖を好む。杯は増えるものを選ぶ。
壇の脇には、出席者用の弁当箱が積まれていた。配膳の開始時刻は、紙には書かれていない。モルドラッサが壇の脇で弁当の配膳を始めた。握り飯には『安心の味』が練り込んである。『安心の味』を食べた者は、不安を感じても、それを不安として口に出しにくくなる。口に出されない不安は、不安な状況として認識されにくい7。
弁当の列の端に、白い舌鏡を持った審問官が一人立っていた。先の簡易報告を書いた者だ。審問官は食後の市民の舌に光を当て、苦味の残留を確認する。苦味が検出された場合、摂取者の思想に汚染の兆候があるとされる。リギネの工房で『規格外の残香』が見つかったのも、この審問官の報告が発端だった。
判決
ジジバルバは立たなかった。
紙をめくり、脚注を読んだ。声に出して読んだ。声は低く、壇の外には届かない程度の音量だった。届かない音量で読まれた脚注は、聞こえた者と聞こえなかった者を分ける。聞こえた者は内側にいる。
「……自然発生的な合意に従い、本件、列の安全を優先する」
判決という語は使われなかった。判決は裁判の用語だ。裁判は行われていない。行われたのは『規格の運用』だ。運用は判決より穏やかに聞こえる8。
リギネが列で発しなかった抗議、呑まれた言い返し、最後に裏返った声の届かなかった分。それらはすべて黙滓として広場に落ち、糸を通じて帳簿に運ばれていた。帳簿に載った沈黙は、黙債と呼ばれた。黙債には番号が振られ、番号は既存の脚注の参照先として流通した。拾った者、番号を振った者、帳簿に移した者は、それぞれ別だった。別であることにより、誰も全体を処理していないことになった。リギネ本人は番号を知らない。知らないまま、彼女の名前の横に四十一件の黙債が積まれていた。
掲示板の札が一枚、差し替えられた。リギネの工房の免状番号と『奉杯行列登録抹消』の文字。筆跡はスクロヴロッカのものだ。
頷きの波が横一線で走った。二秒で壇の端から端まで。二秒のあいだに、リギネは列から永久に外された。列の外は、配給の外であり、祈りの外であり、安心の外だ。
スクロヴロッカはリギネに薄い紙を一枚渡した。紙には『休憩レーン・次回案内予定』と書いてある。休憩レーンは広場の裏手にある。行った者が戻ってきた記録はない。『次回』がいつかは紙に書いてない。
形式は穏やかだった。誰も怒鳴らなかった。誰も殴らなかった。
スクロヴロッカは三行の紙を配った。
安全性向上。 進捗五割。 次回案内予定。
モルドラッサは弁当の値段を一割上げた。今日の祈りは長かったから。
ポンプリーズカは糸を一本だけ残して巻き取った。
グリッボロンカは壇の裏の石柱を一度叩いた。次の静けさのために。
残り物
リギネは列の端に立ち尽くし、やがて端からも外れた。
足元の白線——列の境界を示す消石灰の線——は、上から新しい消石灰で引き直されていた。新しい線はリギネが立っていた位置の内側を通っている。彼女が外れたあとに線が引かれたのか、線が引かれたから外れたのか。順番は記録されていない9。
広場の片隅に、石に座った子どもがいた。列で泣いていた子どもだった。修復所の待合棟に寝起きし、この日の行列について来ていた孤児だ。手を洗う習慣がある子どもだった。弁当を食べていた。握り飯の半分を残していた。
残した理由を訊いた者はいない。子どもの顔には、理由があった。言葉にはならなかった。『安心の味』は、不味くはない。だが安心だけの味は、何かが足りない。足りないものが何かはわからないまま、口の中に残った味は、かすかに不快だった。不快なものは飲み込みにくい。
子どもはリギネを見ていた。リギネは子どもを見ていなかった。
ジジバルバは、子どもの顔を見た。見た。そして、見なかったことにした。
見たものに名前を与えることは、王の仕事だった。だが解読者の席には、名を呼ぶ手続きが含まれていない。含まれていない手続きを行う者は、席を離れたことになる。席を離れた者は、処理から外れる。外れた者は、次の処理には呼ばれない。
見なかったことにする技術は、聖務院の審議で、監督官が老人の輪郭を塗りつぶした技術と同じだ。欄外へと退ける。『関連性なし』の欄外に。関連性がないものは記録の対象にならない。記録の対象にならないものは、存在しないのと同じだ10。
点
修復所に戻ると、ジジバルバは書見台で紙を開いた。
暫定採用版の脚注の末尾、『自然』の横に、三個目の点を打った。爪の先で紙の繊維を押し潰した。光の角度によってのみ見える。
点は増えていく。増えるたびに『自然』の周囲が密になる。密になった点はやがて語を囲む。囲まれた語は外から読めなくなる。読めなくなった語は要約で置き換えられる。
次の断罪は、手順が一枚増えるぶんだけ軽くなる。軽くなることは容易になることではない。手順が増えると一回あたりの判断量が減る。判断量が減ると判断の重さが減る。重さが減った判断は繰り返しやすい。繰り返されたものは制度になる。
毎回裁く必要はなくなった。前例が裁く。脚注が裁く。脚注が裁くとき、ジジバルバは読むだけでよい。読むだけの者は、決める者ではない。決める者でない者が座っている席は、玉座ではない。席の名前は変わっていない。変わったのは、席に座る者の仕事だ。
壁の印は二十六個。赤はさらに褪せていた。導管の民は来ない。来ないことが標準になりつつある。
倉庫区から甘苦い金属の匂いが漂っていた。次の奉杯祭の準備だ。次の祭のために次の浄化が要る。浄化のサイクルは十八日ごと。検査の代替として、自分たちで回している。回すことを止める手続きはない。手続きがないものは止められない。
奇跡は一夜で足りた。断罪は一回目が最も重い。二回目からは手順書の厚みが重さの代わりになる11。
Footnotes
-
不確定状態の恐怖係数は、確定状態の恐怖係数の約一・七倍とされる。ただしこの数値は、奉杯ジュース規格(暫定採用版)の脚注㉑に記載されたものであり、算出根拠は『自然発生的な合意』による。 ↩
-
推測の非共有に関する五人の暗黙的合意は、記録されていない。記録されていない合意は、合意として成立しているかどうかを検証する手段がない。検証手段のない合意は、破棄する手段もない。破棄できない合意は、永続する。 ↩
-
奉杯ジュース規格(暫定採用版)運用細則第四条『規格逸脱の処理』:規格逸脱が認められた場合、対象者は奉杯行列からの永久除外とし、再登録を不可とする。除外の根拠は『自然発生的な合意』による。除外に対する異議申し立ては、申し立てた時点で規格第七条(疑義の禁止)への違反となる。 ↩
-
モルドラッサの舌による残香確認の精度については、公式な校正記録が存在しない。校正記録が存在しないことは、精度が保証されていないことを意味するが、同時に精度が不十分であることも証明されていない。証明されていないことは否定できない。 ↩
-
〇・三秒の遅延が『規格逸脱』に該当するかどうかの判断基準は、規格本文には記載されていない。記載されていないことは、脚注に委ねられる。脚注に委ねられたことは、脚注を書く者の裁量による。裁量の範囲は定められていない。定められていないものには上限がない。 ↩
-
任意出席の実質的強制力については、規格のいずれの条文にも記載されていない。記載されていないことは、慣例として処理される。慣例は文書化されない。文書化されないものは改定の対象にならない。改定の対象にならないものは、永続する。 ↩
-
『安心の味』の成分は、奉杯ジュース規格(暫定採用版)の別表Ⅲに記載がある。ただし別表Ⅲは『調理担当者のみ閲覧可』とされている。調理担当者はモルドラッサのみである。 ↩
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断罪の形式的穏やかさは規格の設計に由来する。暴力的な断罪は記録に残りやすく、批判の対象になりうる。穏やかな断罪は『運用』として処理される。運用として処理されたものは、批判ではなく改善の対象になる。改善は批判より穏やかだ。 ↩
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白線の引き直しに関する作業指示書はスクロヴロッカが作成した。日付は断罪の祭の前日だが、完了時刻は記載されていない。完了時刻が記載されていないことは、作業が断罪の前に完了したかどうかを確認する手段がないことを意味する。未確定のものは暫定的にすべて適正である。 ↩
-
ジジバルバが『見なかったことにした』という記述は推測であり、観察事実ではない。推測は脚注に分類される。脚注に分類されたものは本文ではない。本文でないものは公式記録に含まれない。 ↩
-
本断罪は規格施行後初の事例であり、前例としての拘束力を持つ。前例の拘束力については脚注⑫『遅延は祈祷に準ず』において、遅延は中断ではなく継続として処理される。この原則は処理全般にも援用される。したがって、一度開始された断罪は中断ではなく継続として扱われ、本断罪は次回以降の基準値として機能する。基準値は一度設定されると上方修正のみが可能であり、下方修正の手続きは策定されていない。策定する予定もない。 ↩